朝鮮半島の歴史観と心理 檀君神話



韓国の歴史観は「他人に厳しく自分に甘い」?ベトナムの慰霊碑に「加害者」がいない理由

配信日時:2019年6月3日(月) 10時53分

2019年5月30日、韓国メディア・韓国日報は「ベトナム戦争の記憶は不公正…韓国はただ『他人に厳しく自分に甘い』」との見出し記事を報じた。

記事はまず、ベトナム戦争真っただ中の1968年に民間人135人が虐殺された「ハミの虐殺」について伝えている。韓国軍人らによるものだったが、慰霊碑の造成基金をつくった韓国の参戦軍人団体が、事実が刻まれた慰霊碑にある韓国に関連する記録の削除を要求し、住民らが慰霊碑の裏面に蓮の花の模様の大理石を重ねて隠したという。記事は「この加害者のいない追慕碑は、歴史の真実にたどりつけない中途半端な記念物のままだ」と伝えている。

また記事は、ベトナムと戦争の記憶についてつづられた、ベトナム系米国人学者の著書「NOTHING EVER DIES(何も消えない)」も紹介。筆者は「ベトナム戦争はわれわれの中にとどまり、新たな戦争の悲劇を生んでいる。戦争の記憶の方法が間違っているからだ」「ベトナム戦争の記憶は公正ではない。勝手に歪曲(わいきょく)・美化された」などと指摘している。韓国についても「韓国が被害者だったことはない。ご主人様によく学んだ暴力団であると同時に、代理人・側近だった」とし、「韓国は日本に対して過去の歴史問題を突きつけるが、ベトナム戦争当時に犯した過ちは積極的に謝罪しない」と批判。このような韓国の歴史に対する態度を「他人に厳しく自分に甘い」と皮肉っている。

これを受け、韓国のネット上では「認めるべきところはしっかり認めよう。韓国もベトナムに対しては加害者」「その通り。日本をたたく前に、ひざまずいてベトナム国民に謝罪すべき。韓国の歴史は歪曲が多い」「今の韓国は派兵当時の国力とは違う。だから言い訳せずに被害者に許しを乞うて被害補償をすべき。そうでなければ、韓国が日本に被害補償を求めるのはそれこそ自分に甘過ぎ」とのコメントが寄せられている。

一方で「ベトナムの内部事情も知らないくせに。韓国の団体が慰霊祭も何度か行ったし、ベトナムは米国に勝利したし、自分たちも虐殺を多く行っていたから問題を大きくしたくないと考えているんだ」「当時はベトナム・米軍・韓国軍が混ざっていたし、ベトナムが犯した虐殺も多数あった」「韓国がベトナム戦争に参戦したことは、日本が韓国を植民支配して虐殺・収奪・強制動員したこととは意味と性格が全然違う。すでにベトナム戦争に対して数回謝罪し、民間人被害者に対して補償をすると言ったけど、ベトナム政府が自分たちが勝利した戦争だという理由から断った」「米国も謝罪してないのに、なんで韓国だけが?そもそもベトナムは戦争に勝ったではないか」などの声も上がり、賛否両論が出ている。(翻訳・編集/松村)





ハンギョレ新聞(韓国語)

1980年代、大学に通っていた筆者が韓国史、中でも古代史を一生の仕事に選んだ理由は単純だった。中国という巨大な溶鉱炉をすぐそばに置きながら、彼らに同化されず7千万人を越える民族構成員を成し遂げた「韓民族の偉大さ」を研究するためであった。

匈奴烏桓鮮卑柔然、靺鞨、契丹など一時、東北アジアに号令した数多くの種族が結局は中国に吸収・同化され今はその痕跡さえ探すのが難しい状況だが、韓民族はあらゆる危機を克服し現在に至る、というのは明らかに驚異的事件に間違いない。

過去、韓国史研究で民族主義は至高至純であり、ウリ(私達)民族と他の民族の抗争の歴史が対外関係史研究の基調であった。この様な雰囲気で「民族の単血性、純粋さ」に対する疑問は忌避されてきた。

このような認識は南北とも同じだ。北朝鮮学界はもう一歩踏み出してウリ民族が世界で最も優秀だ、という「ウリ民族第一主義」を土台に世界四大文明よりさらに古く優秀な『大同江(テドンガン)文明』が平壌ピョンヤン)一帯で発展したと主張する。さらに人類の起源はアフリカではなく大同江流域という主張が出てくるに至った。

この過程で平壌にある高句麗の横穴式石室が檀君陵に変貌し、古朝鮮の中心地は始終一貫「民族の聖地」である平壌一帯にあった、という平壌聖地論に発展することになる。北朝鮮学界が主張する壇君陵に檀君が埋葬されている可能性は当然0%だが、私たちの社会の一部は壇君陵を事実と信じたがる。最近ではある元老教授が世界四大文明よりさらに優秀で古い漢江(ハンガン)文明論を主張するのを見れば「ウリ民族第一主義」で南北は異なるところがない。

ウリ民族が他の民族より優秀だ、という主張は言ってみれば他の民族はウリ民族より劣等だ、という論理で、これは弁解の余地のない人種主義の表出だ。

近代に至って帝国主義の侵略を受け、過去の歴史が強制的にひどく歪曲される痛みを体験した私たちの社会は植民史学の克服という大きな課題を抱えることになった。解放後、多くの努力の末、植民史学の弊害はほとんど克服され、日帝官学者などによる誤った主張も順次消滅している。

ウリ民族が宇宙の初めから現在のような姿、すなわち完成された形で登場し、古代にはすでに天山山脈バイカル湖を含む広大な領土を占めた大帝国であった、という主張の底流には韓民族が特別に優秀だ、という認識が敷かれている。しかし韓民族は特別に醜かったという植民史学の主張と特別に優秀だったという国粋主義的主張は一卵性双生児だ。

この様な無理を犯さなくても今は世界のどこへ行っても私たち民族が見下されることはない。もちろん米国でたびたび人種差別にあうことが報道され、今も日本の市内の真ん中では極右勢力が嫌韓デモを行っている。しかし、この様な集団は少数に過ぎず、批判と克服の対象になるだけだ。むしろ、より良い働き口や人生を求めて大韓民国に来た外国人に対する私たちの差別がもっと深刻かもしれない。

民族の純血性を強調し韓国史の展開を純種韓民族が主体になった民族史に単純化する限り、私たちのそばの外国人を眺める私たちの偏狭さは修正されない。今まで私たちの歴史研究と教育が「偉大な韓民族」のイメージを注入し、周辺の隣人たちに対する憎悪心を植え付ける一助となったのではないか、痛恨の反省をする時だ。ロマンチック民族主義感情を基礎に歴史勉強を始めた筆者もこの批判から自由ではない。大韓民国が本当に偉大な大国になることを希望するなら、隣の多様な集団を包容すべきだ。(中略:アケメネス朝ペルシャの話など)

百済新羅韓半島でなく中国や日本にあったという主張もある。ところがこの様な主張の底辺には韓半島で展開した歴史は恥ずかしい歴史、大陸で展開した歴史は誇らしい歴史という倒置された歴史認識がかくれている。植民史学の主張する半島性論の復活だ。偉大な歴史を叫ぶ内面にはもしかしたらすさまじい劣等感が位置しているのかも知れない。


http://www.hani.co.kr/arti/culture/religion/896239.html


檀君神話(読み)だんくんしんわ


古朝鮮の建国神話。天孫檀君古朝鮮を開き、その始祖になったというもの。『三国遺事(さんごくいじ)』(紀異巻1)によると、天帝桓因(かんいん)の子桓雄(かんゆう)は、天符印(てんぷいん)3個を父より授けられ、徒3000を率いて太伯(たいはく)山頂の神檀樹(しんだんじゅ)という神木の下に降臨した。そして洞穴にいた虎(とら)と熊(くま)が人間に化すことを祈っていたので、蓬(よもぎ)と蒜(にんにく)を食べて忌籠(いみごも)るよう告げると、熊だけが女となり(熊女(ゆうじょ))、桓雄と婚して檀君を生んだ。檀君は平城に都を開き、1500年の間国を統治したという。

この神話の前半の部分は、日本の天孫降臨神話に対応するものである。
また、この神話のおもな登場人物である桓雄、虎、熊はそれぞれ主権、軍事、豊穣(ほうじょう)の機能を代表するもので、東アジアにおけるインド・ヨーロッパ諸族神話的な社会的三機能体系の一例である。

他方、檀君神話でことに興味深いのは熊と虎の問題であり、熊女の忌籠りは巫女(みこ)の成巫(せいふ)過程に比例するものである。

さらにこの神話は、北方ユーラシアの熊信仰と深い関係があり、ツングース系諸族、ことにアムールランドのツングース人の間に普遍的に分布している熊祖神話や、熊や虎と人間の女との交婚譚(たん)ときわめて深い親縁関係を示し、その一異伝と考えられる。

したがって、これは朝鮮文化とツングース文化との密接な関係を物語っている。また歴史的にみると、支配者層に支持された箕子(きし)神話に対し、
檀君神話は13世紀以降モンゴルなどの侵入に対する民衆の義兵闘争を契機として広まった、朝鮮の被支配階級の民族主義的神話である。

 なお、韓国では独立後の1948年から61年まで、檀君紀元(西暦の紀元前2333年を元年とする)を使用していた。[依田千百子]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)


世界大百科事典内の檀君神話の言及

【朝鮮】より



[二つの開国神話]
 朝鮮文化の完成した時期,その文化要素に〈大〉文化と地域文化との融合がはかられたことを示す好個の事例として,朝鮮の開国神話をあげることができる。朝鮮には檀君神話と箕子神話との二つの開国神話があるが,これらは高麗時代に成立したもので,前者は民間信仰を,後者は儒教を背景にしたものである。
檀君神話は中国尭帝即位50年に,天神の子と熊の化身とのあいだに生まれた檀君平壌城で建国するが(前2333年が檀君紀元),
1500年後,箕子が朝鮮に封ぜられたので,山神になったという。…

【朝鮮神話】より


[文献神話]
 文献神話のおもなものは次のとおりである。(1)古朝鮮檀君神話 天帝桓因の子桓雄は天符印3個を父より授けられ,徒3000を率いて太伯山頂の神檀樹の下に降臨した。洞窟に虎と熊がいて人間に化すことを願ったので,蓬(よもぎ)と蒜(にんにく)を食べて忌籠るよう教えると,熊だけが女となり桓雄と結婚して檀君王倹を生んだ。…
※「檀君神話」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社