小和田家
河原敏明『皇太子妃雅子さま』
その祖先が眠るという西真寺を訪ねた。西真寺は村上市にある浄土真宗の寺
で、元和四年以来、ここで三百七十年の歴史を持つ。住職本荘長弘師はその小和田
家の墓について、毅夫氏が新潟市の学校に在勤中、父金吉の墓のみを新潟市の
泉性寺に移した、という話をしてくれた。
ゆえにいま西真寺にある小和田家の墓には、兵五郎夫妻と道蔵(匡利)の妻
とその子供だけ(夫の道蔵の墓は新潟に)二基の墓石が並んでいる。高さが七
十センチ、近隣のものと比べて極端に小さく墓域にも余裕がない。
「なぜ祖父の妻と子、および曽祖父夫妻の墓を残していったのか。ふつう移す
ときはそっくりもっていくものなんですがねえ」
と住職夫妻も不審気だった。昭和六十一年十一月、恒氏が外務省官房長のと
き、恒、毅夫の両氏夫妻が村上にきたが、そのときも祖父、曽祖父が眠ってい
るにもかかわらず墓参していないことにも、理由をはかりかねていた。
そこで小和田毅夫氏が、村上から墓を移したという新潟市の泉性寺に聞くと
住職の広沢誠師が、
「小和田家の墓は明治七年よりうちにあるが、ただ金吉と兵五郎の墓はない。
匡利(道蔵)の墓だけがあります。外務省の小和田家にとって初代にあたる兵
五郎の墓は寺にありません。私の父が死んでいるので、その辺の詳細は分かり
ませんが。三十年くらい前に毅夫さんが父金吉の墓をうちに移したということ
はまったく知りません」
と西真寺の住職の話とはだいぶ食い違いがある。しかも泉性寺が明治十三年
の大火で類焼しているので資料が乏しいという。
昭和五十五年に毅夫氏が、この泉性寺にある墓の台座だけを、よりよいもの
コレだけでも立派な犯罪ですね。
これら朝鮮人の犯罪多発に対応する為に、朝鮮語をマスターしている朝鮮人専門の警官警部補を新たに採用するに至っています。
因みに、通名と言えば戦後の話と思われがちですが、日韓併合前の統監府設置時代に大流行した通名が、初代統監である伊藤博文の「伊藤」でした。
借家詐欺の手口は、以下の方法が多く用いられました。
・和服を着込み、家主と日本語で応対して役人または会社員であるかのように詐称する。
・内縁関係を持つ日本人女性を妻に仕立てて、この女性に家主と交渉させ、賃借契約を申し込む。
・日本人に依頼してその日本人に家を借りさせる。
・「日本人の友人が家を借りるのだ」と家主をだまして家屋賃貸借契約を結ばせる。
・気の知れた日本人と結託してその日本人を保証人にする。
・勝手にまた貸しする。
・掃除をしない。
・床をはいで、たきぎにする。
・勝手に改造する。
・許可もなく朝鮮人専用下宿にする。
・赤の他人同士で雑居する。
・夜おそくまで大声でさわぐ。
・飲酒してケンカ、賭博でケンカと流血の惨事が絶えない。
・土間や道ばたで用を足す。(アメーバ赤痢の粘液性血便もあり)
・うるさくて不潔、乱暴なので近所から日本人がいなくなる。
家主が堪りかねて立退きを命じると、逆に「立退き料をよこせ!」と家主を脅迫する始末でした。
その立退き料は常軌を逸した額を要求し脅迫行為が続く為、多くの物件を所有し比較的収入に余裕のある大地主以外は破産したり、土地家屋を捨て夜逃げする有様でした。
1930(昭和5)年、1931(昭和6)年の二年間で、大阪区裁判所が受理した借地借家調停の申立件数だけで4292件にのぼっています。
そうなると朝鮮人は、今度は土地や家屋の不法占拠を始めました。
土地家屋を捨て夜逃げする家主が多発するのに同じて、大正時代には既にあちこちの大都市に朝鮮部落が形成されていきます。
更に朝鮮部落が形成されると、水道管を勝手に増設して盗水、電線を勝手に引込み盗電と、不正行為は当たり前で治安悪化も併発させ、朝鮮人は当に社会の悪性腫瘍と化して行きました。
因みにこれらは、戦前の段階で代表的朝鮮人スラム街と成長してしまった例で、朝鮮人の多く居住する地区は深川、荒川、本所、城東、品川と戦前の東京では一等地に侵食しています。
・東京都港区芝浦4丁目(東京都港区芝浦月見町埋立地)
・東京都江東区塩浜2丁目(深川区塩崎町)
・東京都港区港南1、2丁目(芝浦高浜町 俗称:天照園)
・東京都調布市国領町(下調布町上石原国領)