大阪 生野 平野 神奈川 川崎 戦後

>うちの85才になる親父に、終戦後間もない頃の朝鮮人の事を聞いた。
「あん頃、朝鮮人に文句言うたりしたら、棍棒持って集団で家まで押しかけ、
殴る蹴る、家の窓ガラスは割るわ、火ぃ付けるはやりたい放題しよった。
かたわにされたり、殺されたものもずいぶんおった。恐ろしかった。」
と語ってくれた。
(同和で聞いたこととそっくりだぞ)

>生野、ここは在日朝鮮韓国人が沢山いる町なのですが、この辺りに沢山の豪邸があります。表札を見ると4割ぐらいほどアチラの名前なんです。ぼろ家は五割ほど。
 知り合いのアチラの方に聞いたところ自営業の方が多いようで脱税は当たり前らしく日本人としては許しがたいです。彼女は私にも『貰える金は貰っときや〜』と言っていました。
 先日、小1の娘が小学校で韓国語を強制的に習わされてきました。しかも嘘の歴史までクレームを入れたかったのですが娘が人質に取られてると思うと流石に無理でした。この辺の学校はすべて韓国朝鮮語を習わされてるといっても過言ではありません。土地柄、朝鮮学校、総連、ヤクザの事務所、共産党のアジトなどなど、子供を持つ親としてどうやって子供を守るかが日々私の悩みです。
 恐怖と苛立ち、不安でたまりませんが自分が出来る事、私にしか出来ない事を考えながら生きています。



>大阪に勤務すると、在日問題は必修科目。刑事事件は半分ぐらい在日か同和がらみでしたが、それは絶対に放送できない。
在日と同和と山口組がそろった「大三元」といわれたのがイトマン事件。
@osada_tatsuji

2014年10月2日 20:44 

>大阪・京都・神戸は昔から三国人の巣窟で、駅前なんかに戦後掘立小屋立てて商売してきた人たちのほとんどが在日・同和・中国人だそうです。古い話では母親が若いころ神戸に働きに行くと言うと「神戸は絶対行ったらあかん!若い娘がそんなとこ行ったら三国人に何されるやわからん!」って必死で止められたそうです。現に今でもチャイナタウンありますもん。京都も戦後駅前に掘立小屋が軒を連ね、京都駅近辺には若い娘は行かない様に言われてました。大阪も同じで駅前に全国のお土産物屋さんが地下街にずら~っと並んで立ち飲み屋もあり、庶民的でにぎやかな風景でしたが大阪駅周辺開発事業で一掃されましたよ。天王寺駅周辺も昔はがら悪くて物乞いの人たちがたむろしてました。しかし、これも開発のためやっと一掃でき、今ではハルカスも建ち周辺の雰囲気がガラッと変わり若い子や観光客も随分増えました。鶴橋も三国人が集まる有名な地でその辺りに行くとキムチと焼肉の匂いがプンプン!やっぱり若いころは絶対よりつけませんでした。
土地代もまともに払っていないので居座り続けていてそれでも最後は強制執行で追い払われて 今ではどこにも戦後のどさくさ街はなくなりました。そういう人たちは税金もまともに払っていないのでわんさと金儲けして大金持ちの仲間入りしたんでしょうね。

 
>これは実話だが、俺は学生時代、平野区で20歳の頃17歳の在日朝鮮人に半殺しにされたことがある。
理由は、「僕とアルバイのシフトに入りたくないと言ったでしょう!」というものだった。
当時、在日の彼は高校生でガタイだけは朝鮮人らしく良く、悪い人間とは思わなかったが、
人の悪口を言ったり、俺に無駄に距離を詰めてきて、俺と彼は出会ったばかりで
こちらは相手を知ってから距離を詰めたいのに、向こうが勝手に先輩、先輩、と
距離を詰めてきた。相手にしないと切れる所があると判断していたので、
彼が居ない時に、他のアルバイトに、XXXXは苦手だな・・・・一緒にシフトに入りたくないな

そう言ったのを、他の在日(そこは在日の金融屋がやっている店だった、そこの娘もバイトとして入っていた)
がそいつに告げ口、するとその夕方、俺に話があるといい
外に呼び出されていくと、何も言わず俺の顔を何度も強打し
俺は不意をくらい大量の血を鼻からだし、そこらじゅう血だらけに。
倒れ込んだ俺の顔を、血糊の上から足で踏みつけ

「お前みたいな奴は夢なんか叶えられない、死ね!俺の悪口を言っただろう死ね!」と
一面血だらけになった踊り場で顔をグチャグチャに踏まれた
俺は、余りのやり方にその店をすぐにやめ、街も出た。

在日の周りの人間が何人も生野におり、そいつらが後から後から
俺の家に来て俺を探しに来たと、仲間から聞いた

もう昔の事だが、若かった俺には在日が朝鮮が何か理解してなかったが
今思えば、やはり在日は異常だ

>>>朝鮮人の犯罪の多さは、何も今に始まった事ではありません。
戦前から朝鮮人による犯罪に、日本人は悩まされ続けておりました。
戦前、内地への朝鮮人渡航制限を日本政府は度々実施しましたが、渡航許可証の使い回しや偽造、直接渡海するなど、数々の手段を用いて多くの朝鮮人が不正渡航(現在ならば密入国)して来ました。
コレだけでも立派な犯罪ですね。
不正渡航密入国)して来たのならば大人しく目立た無い様に振る舞えば良いものの、朝鮮人にはその辺りの事が理解出来無い様で、小窃盗やスリは常習、十数名の一団が共謀して良家の子女妻女に暴行(※1)と言った事件も度々起こしています。
これら朝鮮人の犯罪多発に対応する為に、朝鮮語をマスターしている朝鮮人専門の警官警部補を新たに採用するに至っています。
更に内地潜入に成功すれば、今度は通名を使って借家詐欺(※2)を多発させました。
因みに、通名と言えば戦後の話と思われがちですが、日韓併合前の統監府設置時代に大流行した通名が、初代統監である伊藤博文の「伊藤」でした。
借家詐欺の手口は、以下の方法が多く用いられました。
通名を名乗って日本人を装い、家屋を賃借する。
・和服を着込み、家主と日本語で応対して役人または会社員であるかのように詐称する。
・内縁関係を持つ日本人女性を妻に仕立てて、この女性に家主と交渉させ、賃借契約を申し込む。
・日本人に依頼してその日本人に家を借りさせる。
・「日本人の友人が家を借りるのだ」と家主をだまして家屋賃貸借契約を結ばせる。
・気の知れた日本人と結託してその日本人を保証人にする。
更に具体的な被害を挙げれば、以下の事案が多発しました。
・家賃を払わない。
・勝手にまた貸しする。
・掃除をしない。
・床をはいで、たきぎにする。
・勝手に改造する。
・許可もなく朝鮮人専用下宿にする。
・赤の他人同士で雑居する。
・夜おそくまで大声でさわぐ。
・飲酒してケンカ、賭博でケンカと流血の惨事が絶えない。
・土間や道ばたで用を足す。(アメーバ赤痢の粘液性血便もあり)
・うるさくて不潔、乱暴なので近所から日本人がいなくなる。
家主が堪りかねて立退きを命じると、逆に「立退き料をよこせ!」と家主を脅迫する始末でした。
その立退き料は常軌を逸した額を要求し脅迫行為が続く為、多くの物件を所有し比較的収入に余裕のある大地主以外は破産したり、土地家屋を捨て夜逃げする有様でした。
1930(昭和5)年、1931(昭和6)年の二年間で、大阪区裁判所が受理した借地借家調停の申立件数だけで4292件にのぼっています。
そうなると朝鮮人は、今度は土地や家屋の不法占拠を始めました。
土地家屋を捨て夜逃げする家主が多発するのに同じて、大正時代には既にあちこちの大都市に朝鮮部落が形成されていきます。
更に朝鮮部落が形成されると、水道管を勝手に増設して盗水、電線を勝手に引込み盗電と、不正行為は当たり前で治安悪化も併発させ、朝鮮人は当に社会の悪性腫瘍と化して行きました。
マスコミが本当の事を報道しないので、戦前の東京近辺の不法占拠地区の一部も暴露しておきますね。
因みにこれらは、戦前の段階で代表的朝鮮人スラム街と成長してしまった例で、朝鮮人の多く居住する地区は深川、荒川、本所、城東、品川と戦前の東京では一等地に侵食しています。
・東京都豊島区東池袋(豊島区日出町 俗称:水久保)
・東京都港区芝浦4丁目(東京都港区芝浦月見町埋立地
・東京都江東区塩浜2丁目(深川区塩崎町)
・東京都港区港南1、2丁目(芝浦高浜町 俗称:天照園)
・東京都調布市国領町(下調布町上石原国領)
戦後は不法占拠を激化させ、今でも一等地の上野など主要駅近辺に進出した為や、GHQによる徴用、区画整理などにより上記の朝鮮部落はその面影も無いですが、これらの地区で朝鮮人によって日本人が土地を奪われた史実、また朝鮮人によって人権侵害された日本人が多く存在する史実を、マスコミが隠蔽しているので皆様方には知って頂き、併せて数多くの一次資料が残されている事も知って頂きたく考えております。
そしてこれらの悪夢は、今当に現在進行形です。
マスコミが隠蔽しているのだから、掘り返さなくても良い過去まで掘り返して、已む無く拡散しなければならなくなってしまいました。
マスコミが現在の事件を隠蔽し、偏向報道さえしなければ、これらの過去は暴露する必要は無かったのですが、包み隠そうとするので仕方が無く暴露に至りました。
若し、在日朝鮮人の皆さんが住みづらくなったのだとすれば、すべて事実を隠蔽するマスコミのせいだと御認識下さい。
 
 
 
【出典】
※1:流浪の鮮人が大阪に一万 一月に五百人宛殖(ふ)える 警察は頭痛鉢巻 大阪時事新報 1922.10.19(大正11) (神戸大学新聞記事文庫)
※2:1933(昭和8)年3月 司法省調査課 「報告書集 2」


>>川崎は歴史的に在日コリアンが暮らし、街や歴史をつくってきた

へええ、日本の街なのになんということだ。
日本人は排斥されてきたということか。大変なことだぞ。

>川崎生まれの川崎育ちだが、在日が川崎で暮らすことが当り前などという事を容認した覚えは無い!
勝手にオール川崎とかほざくな。
単に市議会議席が左や共産系が多いだけの事だろ。

>何で朝鮮人が川崎を開拓したみたいな話になってんだよ

>事実だぞ、朝鮮人と893の町だった、あそこは立ち入ってはいけない町だった昭和はね
それが平成になっておしゃれな街と宣伝されて都心に近いのに地価が安いと(安い訳があったのに)人気が出始めた、再開発もあったからね
せっかく化粧し直したのに馬鹿がまた墓を掘り起こしてる、化粧しても中身は変わっていないのばれちゃう

>神奈川県は、川崎、小田原、茅ヶ崎の汚鮮がひどい

>ちょっと聞いてよ
http://bbs.jpcanada.com/log/6/10247.html

87歳在日「土地は誰のものでもなくて、みんな勝手に自分の土地にした」

>■税金で、韓国カルト宗教の洗脳施設を作ってる川崎国

[ 川崎 ふれあい館 - 社会福祉法人青丘社 ]
「差別をなくし、共に生きる地域社会を創造していく」 川崎市が設置
ふれあい館・館長 裵重度(ペ・チュンド)氏 (兼、人権センタ-理事)
ttp://www.seikyu-sha.com/sqsblog/wp-content//kouenkai_page001.jpg

自治体で初めて外国籍(韓国人)を公務員に採用した川崎国

1998年、川崎市が日本で初めて外国籍(韓国人)の金本大祐を公務員に採用
↓ ↓ ↓
2002年、2005年、2006年
韓国人職員の金本大祐は生活保護支給の決定権を持つケースワーカーへの異動を要求したが、却下された。
↓ ↓ ↓
2007年 民団新聞が「差別ニダー」と報道
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2009年、民主党政権となり、韓国籍の金本大祐が念願の生活保護課へ異動!
「自分は在日韓国人のために働く」と発言

現在は、民主党市議からも厚い信頼を受け、川崎市で民団と供に生活保護の支給に大活躍(日本国民の血税が食い物にされている)。

倭寇はガキからし
恥をしらない咎人どもよ

>お前らは多様性を受け入れられぬ
前時代脳をもった豚猿

朝鮮人ってどこの国行っても
現地の人達に喜んで受け入れられてる訳でも無いのに
自分達が現地で受け入れられてない理由を
現地の人間の多様性の無さっていう滅茶苦茶な論理出して
喚き散らすんだよなあ。

どこでも歓迎されてないんだったら
それが韓国人に対する扱いのグローバルスタンダードってことだろ?



朝鮮人が税金払わないのを正そうとした税務署職員がなぶり殺されたのも川崎だったよな!

×川崎は在日が街や歴史つくった
○川崎は在日が街や歴史乗っ取った

>異文化強制は御免です。

>・朝鮮人密入国はすごい大量でした。

1946年から、半島で朝鮮戦争前の赤狩りが始まり、1950年には」半島で朝鮮戦争開始。
日本にボロ船で赤い朝鮮人が大量に密入国。その数約60万人以上。
日本国は当時は武器もなく、密入国を野放し。在日米軍もやっと重い腰を上げたのだが時すでに遅し。

>昭和20年代から、あの朝日新聞でさえも、朝鮮人の密航を記事にしていた。

それだけ密航者が多かった、で そのまま70年居ついたのが現在の在日朝鮮人ども。


o 吉田茂氏がマッカーサーに宛てた「在日朝鮮人に対する措置」文書(1949年)

朝鮮人居住者の問題に関しては、早急に解決をはからなければなりません。 彼らは総数100万にちかく、その半数は不法入国であります。 私としては、これらすべての朝鮮人がその母国たる半島に帰還するよう期待するものであります。 その理由は次の通りであります。

(1)現在および将来の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能であります。 米国の好意により、日本は大量の食糧を輸入しており、その一部を在日朝鮮人を養うために使用しております。 このような輸入は、将来の世代に負担を課すことになります。 朝鮮人のために負っている対米負債のこの部分を、将来の世代に負わせることは不公平であると思われます。

(2)大多数の朝鮮人は、日本経済の復興に全く貢献しておりません。

(3)さらに悪いことには、朝鮮人の中で犯罪分子が大きな割合を占めております。 彼らは、日本の経済法令の常習的違反者であります。彼らの多くは共産主義者ならびにそのシンパで、最も悪辣な政治犯罪を犯す傾向が強く、 常時7000名以上が獄中にいるという状態であります。 --中略-- さて、朝鮮人の本国送還に関する私の見解は次の通りであります。

(1)原則として、すべての朝鮮人を日本政府の費用で本国に送還すべきである。
(2)日本への残留を希望する朝鮮人は、日本政府の許可を受けなければならない。
許可は日本の経済復興の貢献する能力を有すると思われる朝鮮人に与えられる。 

上述のような見解を、原則的に閣下がご承認くださるならば、私は、朝鮮人の本国帰還に関する予算並びに他の具体的措置を提出するものであります。

敬具 吉田 茂 


>戦後の日本で韓国人は常に刺激的な勢力だった。
人数は激減したが、韓国人は依然として騒々しかった。感情的であった。 無駄な疲労の原因になるような集団だった。 彼らは絶対に敗戦国民の日本人に加担しなかった。逆に戦勝国民の仲間入りをしようとした。韓国人は「日本の法律は我々には適用されない!」と考えていた。 だからアメリカ占領軍(GHQ)の指令も日本の法律と同じように殆ど無視して行動した。

韓国人の行動は日本国内に非常な混乱を発生させた。 占領当初の数ヶ月、在日韓国人炭鉱労働者の頑強な反抗のせいで、 日本の重要産業の石炭産業の再建は損害を被った。 経済的領域での韓国人の様々な活動は、日本経済再建の努力を頻繁に妨害した。

1948年の神戸の緊急事態宣言は日本の教育改革を韓国人が妨害した結果だった。 占領当局(GHQ)が決定した韓国人帰国政策を日本政府が実施しようとすると、これも妨害した。
(中略)
こうした韓国人の犯罪性が日本人と韓国人の関係に与えた悪影響は依然として甚大だ。 韓国人の略奪行為が殆ど日本人の庶民の日常生活の重要な地域で行われた事も原因だ。

更に韓国人は日本に不法に入国しようとした。 不法入国の時、伝染病も持ち込んだという事情もあり、日本人の不安を増幅した。 「“韓国人は悪だ”という心理が時間の経過で日本人の心から薄れていく」と予想する事は全く出来ない。

/日本における朝鮮少数民族-1904年~1950年-エドワード・W-ワグナー/dp/4844763156


>o 在日の悪行の数々

第019回国会 法務委員会 第62号
昭和二十九年五月二十六日(水曜日)
   午後一時五十二分開議

○長戸説明員 覚醒剤の密造に関するパーセンテージでございますが、東京ではたしか朝鮮人が七二%くらいと存じております。
おつしやいますように、覚醒剤の密造犯というものはその根元でありますからして、その意味において、われわれとして徹底的に 撲滅しなければならぬというふうに考えております。従つてその中心をなすそういうふうな悪質外国人に対しましても、容赦なくや るという態度をもつて行きたい。またおつしやいますように、売春窟の支配者というものに対しても同様な態度で臨みたいというふう に考えております。

○養老参考人 ヒロポンの密売者、密造者には韓国人が非常に多い数を占めておるのであります。
それはもうおつしやる通りであります。それから特飲街の従業婦に対して、そうした覚醒剤が売られていたという 具体的な例も幾つか持つております。また特飲街の中にポン窟をつくりまして、韓国人の方方がそれを密造、 密売いたしておつたという例ももちろんございます。そうした点は御指摘の通りでございまして、われわれといた しましても覚醒剤の取締りについては、十分そうした点も考慮しつつ取締りはいたしておる所存でございます。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/019/0488/01905260488062a.html




>o 川崎在日コリアン生活文化資料館 2006年聞き書き事業報告007
http://halmoni-haraboji.net/exhibit/report/200608kikigaki/hist007.html
終戦直後の川崎で〉
 うちも朝鮮へ帰ろうと思ったけど、切符がなかなか取れなかった。
その時はヤミでしか手に入れられなかったから。
川崎の駅のキング通りは終戦直後は、みんな焼け野原で店は一軒しかなかった。
土地は誰のものでもなくて、みんな勝手に自分の土地にした。
うちは韓国に帰るつもりだったから、そういうことはしなかった。
向こうのみんなが日本に帰ってきたから、自分たちも帰るのをやめた。
今ある川崎駅近くの店は、一軒残っていた呉服屋以外、みんな戦後勝手に振り分けた土地の所有者が代々継いできた店。


ヘイトスピーチ、「50万円以下の罰金」 川崎市条例素案
 社会 神奈川新聞  2019年06月24日 22:21

  川崎市は24日、あらゆる差別を禁止し、根絶を図る「差別のない人権尊重のまちづくり条例(仮称)」の素案を公表した。ヘイトスピーチ対策として福田紀彦市長が導入を明言した刑事罰については、「50万円以下の罰金」とする。市の勧告、命令に従わずにヘイトスピーチを繰り返した場合にのみ適用する仕組みを取り入れて過度の規制を防ぎ、人権擁護と表現の自由の保障を両立させる案も明記された。

 素案によると、条例では全ての市民が生き生きと暮らせるまちづくりを掲げ、人種や国籍、民族、性的指向、出身、障害などを理由にした差別の禁止を明示する。ヘイトスピーチに関しては在日コリアン集住地区の川崎区桜本を標的にしたヘイトデモが再び行われる恐れが続いていると判断。実効性を確保するために刑事罰を導入するとした。成立すれば全国で被害が続くヘイトスピーチへの刑事規制が初めて実現する。

 刑事罰の導入に当たっては正当な表現行為を侵害しないよう配慮する。ヘイトスピーチ解消法における差別的言動の定義を▽市内の道路や公園など公共の場で行うもの▽国外退去や危害を告知したり侮蔑したりするもの▽拡声器を使ったりビラなどで配布されりしたもの-と限定化かつ明確化した。

 運用面でも、市長による勧告、命令と段階を踏み、それでも従わなかった場合に氏名の公表と罰則に踏み切る。条例違反として市が検察か警察に告発する形を取るほか、恣意(しい)的な判断とならないよう勧告、命令の際は有識者でつくる「差別防止対策等審査会」に意見聴取する。罰金額は刑法の名誉毀損(きそん)罪や県迷惑行為防止条例を参考にした。

 インターネット上のヘイトスピーチは罰金の対象外だが、事例の公表や削除要請などの拡散防止措置を行う。このほか▽市と市民、事業者の責務▽差別解消・人権尊重に関する施策の基本計画策定▽教育・啓発の推進▽人権侵害の被害者支援-も盛り込んだ。

 市は7月8日から8月9日までパブリックコメント(意見公募)を実施。12月議会で成立させ、同月下旬に一部を施行、2020年7月に罰則を含めた全面施行にするとしている。

 素案の公表を受けて会見した神原元弁護士は「差別を包括的かつ明確に禁止した進歩的な条例案だ。刑事罰についても定義や運用で表現の自由に配慮した内容になっており評価できる」と評した。