韓国土下座修学旅行 智弁学園

....こんばんは。初めて書き込みします。私は高校2年で今日修学旅行から帰ってきました。旅行は韓国に行って来ました。初めての海外旅行で行く前はすごく楽しみだったのですが、なんだかとてもいやな思いをしました。

....誤解がないようにしておきますが、韓国の人に別に嫌な感情とか持っていません。というより、あまり韓国に興味がなかったのです。だけど韓国行きが決まってからいろいろ韓国の勉強をしました。だからこそ今回の旅行は残念なことばかりでした。

....旅行中、大きな体育館みたいなところで元従軍慰安婦のおばあさんのお話を 聞く機会があったんです。私は昔日本の軍隊が酷いことをしたからこれは素直に申し訳ないと思います。だからお話も真剣に聞いていました。

....お話が終わって、信じられないことを私たちは要求されました。司会をしていた男性が「このおばあさんに手をついて謝りましょう」と言ったのです。???、確かに私たちは日本人だけど、どうして手をついてまで謝らなくちゃいけないんだろうと 疑問に思っていたら先生方が「それでは、みんな正座して頭を下げて申し訳ありませんと言いましょう」と言いだし、先生が「申し訳ありません」と最初に頭を下げました。

....突然のことにみんな少し唖然としていると、「おい、早くしないか!」と先生の怒鳴り声!私のクラスのちょっと態度の悪い男の子達が「どうして私が土下座しなくてはならないのか!」と答えると、体格のいい教師が強引にその生徒を座らせました。

....その生徒は普段みんなに怖がられている悪い生徒でしたが、このときばかりはみんなその生徒に同調していました。一番頭のいい男子生徒が普段は先生に口答えとかしたとこ見たことないのですが、猛烈に先生に 抗議しました。それに同調するかのように「私はしない」「やらない」の声があがり始めもう周りは騒然としました。

....そうしたら韓国の関係者の方々がなにやら怒りだして先生を怒鳴りつけていました。元慰安婦のおばあさんは激しい怒った口調で言っています。 それからしばらく先生の謝れというのと一部生徒の拒否で口論した後、先生方が「土下座ではなく座っていてもいいから頭を下げなさい。おまえ達は 日本の恥を外国で晒す気か!」と言って、結局、私たちは頭を下げさせられ「申し訳ありません」と謝りました。

....私は納得がいかない思いでいっぱいでした。 確かに私たち日本人の祖先が過去に韓国の人に苦痛を与えたのかもしれませんが、その理由で私たちが土下座をする必要があるのでしょうか? これは修学旅行の第一日目におこったことでその後は、もうめちゃくちゃでした。
 
....まだまだいっぱい嫌なことがありました。友達の中には先生に切れてさらに韓国が大嫌いになった人もたくさんいます。 こういうこと(謝ること)は普通なのですか?

....修学旅行から帰ってこのことを父に話したら絶対におかしいと怒っていました。学校に抗議するといっていましたが、私はあまり騒ぎを大きくしてもらいたくないのでやめてもらいましたが。

....私はあまり勉強もできなくて学校自体もそれほど偏差値のいい学校ではありませんが、真剣に日本のこと、日本人であること、韓国のこと等考えました。私は間違っているのでしょうか? 当たり前のことなのでしょうか?



どこの学校のいつのものかは不明。
高校は、反日左翼教育や、教師による生徒の自殺追い込みなどで、悪名高い広島県にある高校のようだ。
現在は、この高校は、さまざまなところからの抗議によって、修学旅行先を台湾に変更したということだが。

智弁学園について

智弁の理事長、藤田一族が、問題の元凶だよ

中央日報の過去記事だけど、これ読んでみ?
その辺がよく分かる

・韓国修学旅行30年目 藤田照清理事長
http://japanese.joins.com/article/882/50882.html
藤田理事長が初めて韓国に修学旅行団を送ったのは1975年。 当時、韓日関係は74年に起きた「陸英修(ユク・ヨンス)女史狙撃事件」で緊張状態にあった。 周囲は引き止めたが、「いま行かなければ、今後はもっと行くのが難しくなる」と考えて強行した。 その後30年間、一年も欠かさず計1万5000人の生徒が韓国を訪れた。
彼は韓国を頻繁に訪れているので自然に知韓派になると語った。 88年ソウルオリンピック(五輪)を通じて成し遂げられた「漢江(ハンガン)の奇跡」を実感したと話す。 日本植民統治35年を贖罪(しょくざい)するという意味で、韓国への修学旅行を少なくとも35年間続けようと思うようになったという。

・「韓国修学旅行35年…宿題終える気持ち」 智辯学園の藤田理事長
http://japanese.joins.com/article/594/114594.html
日本関西地方の名門、智辯学園の理事長を務める藤田氏は今年まで35年間、韓国への修学旅行にこだわってきた。
35回目の修学旅行団は20日に韓国に来たが、藤田氏は23日に入国した。 健康が悪化し、修学旅行の日程に参加できなかったのだ。 それでも藤田氏には必ず韓国に来なければならない理由があった。
「当初の韓国旅行は日本文化の根源を見るためだった。 飛鳥文化の中心である奈良の文化が韓国から伝来したことを生徒に見てほしかったからだ。 しかし修学旅行を続けながらの植民地時代35年間の日本の蛮行を知ることになった。 その後、韓国への修学旅行は贖罪の旅行になった。 決心もした。 少なくとも35年は贖罪する気持ちで修学旅行を続けなければいけないと。 そして今年ついに35年になった」



「韓国修学旅行35年…宿題終える気持ち」 智辯学園の藤田理事長

2009年04月26日12時37分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
 
http://japanese.joins.com/article/594/114594.html?servcode=400&sectcode=420&cloc=jp|article|related

   「韓国への修学旅行には私の人生の半分が込められている。 35年の長い宿題を終える気持ちだ。 涙が出てくる…」

  23日午後、ソウルのあるホテル。 酸素呼吸器をつけて車椅子に座っている藤田照清氏がやや苦しそうに呼吸をしながら話した。 日本関西地方の名門、智辯学園の理事長を務める藤田氏は今年まで35年間、韓国への修学旅行にこだわってきた。

  35回目の修学旅行団は20日に韓国に来たが、藤田氏は23日に入国した。 健康が悪化し、修学旅行の日程に参加できなかったのだ。 それでも藤田氏には必ず韓国に来なければならない理由があった。

  「当初の韓国旅行は日本文化の根源を見るためだった。 飛鳥文化の中心である奈良の文化が韓国から伝来したことを生徒に見てほしかったからだ。 しかし修学旅行を続けながらの植民地時代35年間の日本の蛮行を知ることになった。 その後、韓国への修学旅行は贖罪の旅行になった。 決心もした。 少なくとも35年は贖罪する気持ちで修学旅行を続けなければいけないと。 そして今年ついに35年になった」

  年初、肺炎で生死の岐路に立たされた藤田氏だった。 しかし藤田氏は35年間の結実を自分の手でつかみたかったのだ。 医師の引き止めにもかかわらず酸素呼吸器に頼って海を渡った。 1975年に300人で始まった修学旅行団は今年600人を超えた。 この期間に藤田氏と一緒に韓国を訪問した生徒は1万8000人を超える。

  「日本でも海外修学旅行自体が珍しかった時代だった。 特に70年代の韓国旅行は日本では‘買春観光’というイメージが強く、女子生徒のいる保護者の反対は激しかった。 朴正煕(パク・ジョンヒ)大統領暗殺事件、軍事クーデター、北朝鮮の核脅威、新型肺炎(SARS)拡散など何度も危機を迎えたが、韓国でなければ修学旅行自体をやめるとまで話しながら保護者を説得した」

  苦労して始めた修学旅行だったが、韓国で受けた歓待は忘れられない。 初めての訪韓当時、韓国人は韓日両国の旗を振りながら歓迎した。また旅行の終始、韓国警察の警護を受けた。

  「昌徳宮(チャンドックン)で李方子(イ・バンジャ)女史(1901-1989)に会った。 韓国で最もツツジが美しい落星台(ナクソンデ)で李女史が韓服(ハンボク)姿で生徒たちを迎えてくれた。 日本の皇孫が韓国で生きているという話に耳を傾けていた子どもたちの顔を今でもはっきりと覚えている」

  記憶に残るエピソードを尋ねると、藤田氏は「たくさんある」と言いながら笑みを浮かべた。 「今はそうではないが、以前、韓国のどの食堂に行っても麦飯が出てきた時期があった。 生徒は強く不満を表していた。 ホテルで水が出ず、生徒たちは体を洗えずに移動したこともあり、催涙弾のガスのため目を開けられなかったこともあった。 60年代の日本の大学を見るようで、生徒にはかえって良い現場教育になった」

  35年の歳月が流れ、日本の生徒も変わった。 日本の生徒はいま韓国を理解し、韓国文化を愛している。 「今は日本のどこでも韓国料理を食べられるが、以前はキムチも珍しく、カップラーメンを食べたり食事を抜いたりする生徒もいた。 最近の生徒は私よりも焼肉・ビビンパコチュジャンを好む。 今回訪韓した生徒はキムチを12回もリフィルして食べたと聞いた」

  藤田氏は昨年、韓国修学旅行のエピソードをつづった本を出した。 韓国修学旅行を始めたきっかけや韓国学校との交流などが書かれている。 インタビューのためにしばらく酸素呼吸器を外していたことで、短いインタビューでも藤田氏はやや苦しそうに呼吸した。 藤田氏は涙を浮かべながらゆっくりと話を続けた。

  「おそらく今回のが最後の訪問になる。 私自身との約束は今回で終わるが、韓国修学旅行は校長を務める3人の息子がずっと続けると信じている。 韓日両国の青少年が正しい歴史観を持って東アジアの人材として成長していくことを願っている。 これが韓国修学旅行に私の人生のほぼ半分を捧げてきた理由だ」  


智弁学園の修学旅行生の話というのもあって、
そこでは船中のひどかった思い出しかないこと。
修学旅行のバスを警察のバイクが先導していたこと。
やたらに対応が丁寧だったような、そういうことが書かれていた。
韓国人は、自分に利がある相手には丁重だ。
旅行が始まった理由は理事長が相手のいうことをうのみにしたせいだろう。
ただ、韓国の歴史ねつ造が暴かれて、誰も信用しなくなった現在、最近の朝鮮半島情勢の緊迫度や、不潔大国韓国の実態が知られているのに、相変わらず修学旅行を韓国に行かせようとする学校は多いようだ。