DHC、エヴァンゲリオン作者も…相次ぐ嫌韓発言

DHC、エヴァンゲリオン作者も…相次ぐ嫌韓発言に韓国市民の怒り噴出

8/13(火) 10:48配信


エヴァンゲリオン作者「汚い少女像」 DHCユーチューブ放送「韓国は熱しやすく冷めやすい国」  ネチズン「不買・脱ファン宣言」 「DHC追い出し国民請願」まで登場

 日本の“経済報復”がひと月以上続いている中で、日本の有名な漫画家や化粧品企業が運営する放送のパネラーが相次いで嫌韓発言をした事実が明らかになり、韓国市民たちは「脱ドク」(ファンが好きなものを止めること)や不買運動で批判に乗り出している。

 日本の有名な漫画「新世紀エヴァンゲリオン」の作者の貞本義行氏(57)は今月9日、自分のツイッターに「キッタネー少女像。天皇の写真を燃やして足でふみつけるムービー。かの国のプロパガンダ風習まるパク!」、「面白さ!美しさ!驚き!心地よさ!知的刺激性が皆無で低俗なウンザリしかない」という書き込みを掲載した。日本の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で日本国内の反対世論によって展示が中止された「平和の少女像」と日本軍「慰安婦」問題を扱ったドキュメンタリー映画主戦場」について「きたなくて低俗だ」と非難したのだ。

 批判世論が起こると、彼は「韓流アイドルも好きだし綺麗なモノは綺麗だと率直に話している。造形物として魅力がなく汚いと感じた」とし、「(少女像の)モデルになった方がいるなら申し訳ない」と釈明した。しかし、あるネットユーザーが「来年エバ(エヴァンゲリオン)の新作公開を待つ韓国人に一言お願いしたい」と質問すると、「見たけりゃ見ればいいし、見たく無ければ見なきゃいい。俺関係ない。最終回だしきっとスッゲーよ」と答えた。

 「エバおたく」(エヴァンゲリオンのファン)という言葉ができるほど厚いマニア層をつくった漫画家の嫌韓発言に、ファンは「脱ファン行列」を続けている。ネットユーザーたちは「こういう考えを持っている人の作品が好きだったなんて…持っているエヴァンゲリオンの漫画とDVDは廃棄処分だ」(@min****)、「私、今エヴァンゲリオンの漫画を全巻もっているけど全部売りたいです」(@Byu***)、「幼い頃エヴァンゲリオンを面白く見た思い出を壊してくれましたね。がっかりしました」(@Mmb************)などの反応を示した。

 韓国国内で年間売上高が100億ウォン(約9億円)を超える化粧品企業DHCも「嫌韓放送」で批判の中心に立った。DHCの子会社である「DHCテレビ」のユーチューブ放送に出演した日本人パネラーが、韓国の日本製品不買運動をあざける発言をしたからだ。同番組に出演したあるパネラーは「韓国はもともと熱しやすく冷めやすい国」と話し、また別のパネラーは「ろうそくを持って『NOアベ」というが、そのろうそくも日本製だ。だったら(日本製品不買リストにある)その1000品目にろうそくも入れてほしい」と話した。少女像についてもあるパネラーは「ピカソは作品性があって高いものだが、少女像などは何かをコピーしたようで軽い」とし、「じゃあ私が現代アートだと紹介しながら性器を見せてもいいのか」と嫌悪発言をした。

 同放送は、歴史的事実を虚偽で歪曲したりもした。あるパネラーは「日本人がハングルを統一させ、今のハングルが誕生した。(日本が)小学校も建てて、ハングルの教科書を作ってハングルを普及させてあげたし、鉄道が数十キロしかなかったのに6千キロに増やしてあげた」とし、「日本は収奪ではなく投資をした」と話した。これに対し、ネットユーザーらは「韓国で商売をし、日本で嫌韓放送をしている」「クレンジングオイルなど使ってきたが、今日から不買」などの反応を見せている。

 事態がこうなったにもかかわらず、DHCコリアは釈明の代わりに、公式インスタグラムのコメント機能を遮断した。さらに、3年前に吉田嘉明DHC会長がDHCの公式ホームページに「(在日韓国人は)日本に悪い影響を与えるから母国に帰れ」という文を掲載するなど、極右性向の企業家という事実が明らかになると、「DHCを韓国から追い出すべきだ」という主張まで出ている。一部のネットユーザーは「DHCテレビ」ユーチューブチャンネルを、ユーチューブ側に「憎悪や悪意的なコンテンツ」と通報したり、SNSに「#さよならDHC」というハッシュタグをつけて不買運動への参加を宣言するなどで対応している。大統領府国民請願掲示板には「日本製品DHC追い出し請願」という文が掲載された。

 企業もDHCの遮断に出た。昨年末基準で直営店舗数(168店舗)で2位を記録している化粧品ショップ「lalavla」(GSリテール)は12日、「オンラインモールとオフライン店舗でDHC製品を追加で発注しないことを決定した。すでに購入した製品は後方に陳列位置を変える予定」と明らかにした。lalavlaの関係者は「国民感情を考慮した決定」だとし、「すでに11日の売上高が前週の日曜日より5%ほど減った状態」と話した。

 これに先立ち、ユン・ドンハン韓国コルマー・韓国コルマーホールディングス代表取締役会長(72)が、6~7日に役職員700人余りが出席した月例会議で、ある極右性向のユーチューバーの映像を見せて波紋が起こった。日本の貿易報復に対する韓国政府の対応を批判するこの画像には「安倍は文在寅(ムン・ジェイン)の顔を拳で殴らないだけでもとてもえらい指導者」などの発言が含まれていた。ユン会長は前日「すべての責任を取り、この時間以後、会社経営から退く」とし、会長職を辞職した。しかし、オンラインコミュニティでは韓国コルマーの自社化粧品ブランドだけでなく、イニスフリーエチュードハウスなど韓国コルマーが製造した化粧品が多数含まれた「コルマー製品リスト」が瞬時に広がり、韓国コルマーは株価と売上の下落などで困難を強いられている。

オ・ヨンソ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

国連で韓国「徴用工のウソ」に反撃も、民間だけでは限界… 日本政府は表立って世界に発信を!

8/13(火) 16:56配信
【暴走する韓国】

 いわゆる「元徴用工」裁判の原告側は、国際世論を味方につけるべく国連への働きかけを開始した。座視すれば彼らの思いのままとなる。私が所属する「国際歴史論戦研究所」では6月末、代表団をスイス・ジュネーブの国連欧州本部に派遣し、国連人権理事会の場で徴用工問題をめぐり韓国に反撃した。

【写真で見る】徴用工問題の「ウソ」を訴えているイ・ウヨン氏

 主要派遣メンバーは、私と、長崎県端島(通称・軍艦島)の元島民の坂本道徳氏、韓国で徴用工問題の「ウソ」を訴えている落星台(ナクソンデ)経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)氏である。国連では最初に李氏が人権理事会本会議で、次のようにスピーチを行った。

 「日本で働いた朝鮮人は日本人と同一賃金であり、朝鮮人に対する差別はなかった」「監禁状態や強制収容所のような抑圧体制はなく、朝鮮人は自由であった」

 7月2日には、国連内でシンポジウムを開催した。

 坂本氏は、集まった国連人権理事会の関係者に対し、「私の故郷である軍艦島が『地獄の島』だったという、まったく事実でないことが世界に広まって、私たちの名誉が傷つけられている。悲しいことだ」と語った。切々とした坂本氏の訴えは、参加者の胸深くに響いたに違いない。

 李氏は、賃金などの具体的データをあげて差別を否定し、「慣れない朝鮮人労働者に危険な作業は一切させなかった」など、当時の実態を説明した。

 最後に私が、当時、日本国民である朝鮮人を徴用することは国内法上も国際法上も合法であること、朝鮮人労働者への補償問題は日韓間の正式協定で「完全かつ最終的に解決」していることを指摘して、シンポジウムを締めくくった。

 続く7月3日は、私が人権理事会本会議でスピーチを行い、韓国政府に次のように勧告するよう各国政府代表に訴えた。

 「韓国の未熟な法律システムを悪用して日本人の人権を侵害することをやめよ」「1965年に日韓両国間で締結された協定を厳守せよ」

 李氏はスピーチ直後から、韓国民から「死ね」などと、すさまじいバッシングを受け始めた。帰国後は地上波テレビMBCが李氏に「売国奴」の烙印(らくいん)を押し、彼の事務所には暴漢が現れて罵声を浴びせ脅迫した。

 しかし、彼は全くひるまない。韓国人が真実の歴史を知ることが日韓の断絶を防ぎ、「韓国の赤化を阻止する」という確固たる信念があるからだ。

 われわれの活動は先制効果を上げたが、これから韓国政府は国連で巻き返しに出るだろう。政府自体が反日暴走を続ける韓国に、民間の力だけで対抗するのは限界がある。

 日本政府は自ら表に立って「徴用工問題のウソ」を国連から世界に発信し、日本の名誉と国益を守るべく全力を尽くしてほしい。

 ■松木國俊(まつき・くにとし) 朝鮮近現代史研究所所長。1950年、熊本県生まれ。73年、慶応大学を卒業し、豊田通商に入社。直後から韓国担当を務め、80~84年、ソウル事務所に駐在する。秘書室次長、機械部次長を経て、2000年に退社。松木商事を設立する。韓国問題を長く研究しており、「慰安婦の真実国民運動」前幹事長。著書に『こうして捏造された韓国「千年の恨み」』(ワック)、『日本が忘れ韓国が隠したがる 本当は素晴らしかった韓国の歴史』(ハート出版)など。

韓国与党が日本“戦犯”企業との取引禁じる法案を提出 「戦犯ステッカー」も再燃

8/13(火) 20:14配信  産経新聞
   
【ソウル=桜井紀雄】韓国与党「共に民主党」の議員らは13日までに、韓国側が先の大戦に協力した「戦犯企業」だと名指しする日本企業と韓国の政府機関との随意契約を禁じる法律改正案を国会に提出した。日本政府の輸出管理厳格化に反発したもので、議員側は「歴史問題と国民感情を考えると、少なくとも政府の公共部門では、戦犯企業の製品購入を自制する措置が必要だ」と主張した。

 韓国調達庁が議員に開示した資料では、ここ10年間に韓国政府と傘下機関が「戦犯企業」とする日本企業から物品を購入したのは約21万9000件、約9098億ウォン(約780億円)に上り、このうち約3500件、約943億ウォンが随意契約だった。韓国メディアによると、三菱や日立、東芝キヤノンなどが生産したコピー機やプリンターなどが含まれるという。

 一方、ソウル近郊の京畿道(キョンギド)の「共に民主党」議員は、道内の小中高校で「戦犯企業」が製造した備品にそのことを示すステッカーを貼る条例案を近く道議会に提出する方針を明らかにした。3月にも同様の条例案を出したが、日韓関係に悪影響を及ぼすとの非難が相次ぎ、撤回していた。

 政府機関が特定国の製品の購入を制限することは国際規定に反するとの指摘もあり、世論がどのような反応を示すのか注目される。

日本の戦犯企業、2000年までは被害者と3回「和解」した

8/12(月) 18:03配信

光復節74周年企画
1997年、新日本製鉄 
法廷では「関係ない」と主張しながらも 
法廷外で交渉…慰労金・慰霊祭 
 
1999年、日本鋼管 
訴訟8年…法的責任は拒否したが 
「真摯な気持ちを表す」とし法廷和解 
 
2000年、不二越 
日本裁判所「違法な強制」を認め 
被害者たちに3千万円支払う 
 
2000年から変化 
米国で「反人倫犯罪訴訟」が広がると 
「請求権協定で解決した」と本格的に主張始まる

 光復(独立)を目前に控えた1945年夏。日本の岩手県にある日本製鉄釜石製鉄所に連合国の艦砲射撃が降り注いだ。これによって、強制連行によって同製鉄所で休みなく昼夜2交代労働を強いられていた少なくとも690人と推定される朝鮮人のうち、25人が死亡した。しかし、日本政府や日本製鉄は死亡者の遺骨はおろか、死亡通知すら送らなかった。逃亡を防ぐため強制的に貯蓄させられた未払い賃金もなくなった。しかし、1974年の労働者未払い賃金を整理した書類綴じが東京の古本屋で偶然発見され世に知られ、1995年9月、強制動員被害者遺族11人は日本製鉄(当時新日本製鉄)を相手に未払い賃金の支給や遺骨の返還などを要求する訴訟を東京地裁で起こした。

 日本製鉄は法廷では「旧日本製鉄と直接関係がない」と主張しながらも、法廷外では交渉チャンネルを開いておいた。職員を釜石に派遣して調査し、両弁護人団は生存者の証言を集めた。遺族らは訴訟で負けたが、1997年9月に「和解」が成立した。当時、日本製鉄は朝鮮人被害者が釜石で死亡した後、遺骨が返還されておらず、慰霊事業からも排除された事実を認め、慰労金として1人当たり200万円を支給した。遺族を日本に呼び、慰霊祭も開いた。現在、日本政府の後ろに隠れて賠償を拒否する戦犯企業である日本製鉄の知られざる過去だ。

 強制動員被害者の訴訟は韓国の裁判所に先立ち、1990年代に日本の裁判所でも行なわれた。加害当事者である日本にまず責任を問うためだった。被害者と遺族たちは、大半が訴訟で負けたが、1997~2000年の間に3件の「和解」が行われた。

 1942~1944年、キム・ギョンソクさんは日本鋼管川崎工場で強制労働をさせられた。10代後半に工場に連行され、過酷行為を受けたキムさんは、故郷に帰ってからも長い間後遺症を患った。彼は1991年3月、東京地裁日本鋼管を相手に賠償金1000万円と謝罪を求める訴訟を起こした。日本鋼管は法的責任を最後まで拒否したが、キムさんが工場での過酷行為によって長い間障害をもって生きてきたことについて、「真摯な気持ちを表す」とし、訴訟提起から8年後の1999年に慰労金410万円を渡した。東京高裁で行われた初めての「法廷和解」だった。

 現在、強制執行の手続きが進められている不二越も、意外な履歴がある。1992年9月、韓国女子勤労挺身隊員らが起こした訴訟で、富山地裁消滅時効などを理由に請求を棄却しながらも、「学校に行ける」といって少女たちを騙したのは違法的な強制動員だと判断した。日本の裁判所の戦犯企業認定に続き、米国で集団訴訟の動きが起きたことを受け、不二越は2000年7月、被害者らに約3千万円を支払って和解した。

 慰労金の支給など前向きな態度を示した20年前と違い、現在日本の企業は日本政府に同調して、賠償を拒否している。学界では、自国民でなくとも反人倫犯罪の裁判が可能な米国裁判所に訴訟が拡大された2000年から変化が始まったと見ている。米国で強制動員の被害者たちが訴訟戦を始めると、緊張した日本が「韓日請求権協定で完全に最終的に解決した」という新しい対応論理を本格的に主張し始めたということだ。

 イ・サンヒ弁護士(法務法人チヒャン)は「一部の企業は過去の過ちに対して慰労金を支給し、これは解釈によっては賠償としての性格もある。日本側は現在の状況に対して過敏反応する必要はなく、過去の延長線上で現在の状況を見なければならない」と述べた。

コ・ハンソル記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )


脱北者親子の遺体発見、餓死か 韓国・ソウル

8/13(火) 20:43配信
   
【AFP=時事】韓国の首都ソウルで、北朝鮮から脱出した女性とその幼い息子が自宅アパートで死亡しているのが見つかった。同市警察が13日、明らかにした。地元メディアは、2人は餓死したとみられると報じている。

【特集】買い物する親子、マンションに住む夫婦、遊園地の少女…北朝鮮で暮らす人々

 母親と息子(6)の遺体は、先月31日に発見された。当局は、死後約2か月が経過していたとみている。

 同市冠岳(Gwanak)警察署は、「殺人や自殺の形跡はなかった」と明かし、検視結果を待っていると説明した。

 韓国に暮らす脱北者は当局からの補助金の受給資格があるが、北朝鮮とは全く異なるソウルの社会に溶け込むことに苦労する人もいる。

 東亜日報(Dong-A Ilbo)によると、40代とみられる母親は2か月前に、自身の銀行口座から3858ウォン(約330円)を引き出していた。家賃やガス料金は1年以上滞納しており、遺体発見時、冷蔵庫は空だったという。

 同紙の報道では、女性は中国とタイを経由して2009年に韓国入り。韓国系の中国人男性と結婚して中国に転居するも離婚し、昨年息子と一緒にソウルへ戻ったが、職に困ったとされる。

 韓国経済はアジア第4位とはいえ、近年では貧困や社会的孤立に起因する一家死亡の報道が後を絶たない。

 昨年公表された政府統計によると、心的外傷や孤立、経済的困窮が理由で自殺する脱北者の割合は、韓国人全体に比べて3倍に上るという。【翻訳編集】 AFPBB News

脱北者を待ち受ける韓国での新たな抑圧と偏見の壁

2018年4月26日 19:30 発信地:ソウル/韓国 [ 韓国・北朝鮮 韓国 ]

【4月26日 AFP】北朝鮮のエリート士官だったチュ・スンヒョン(Joo Seung-hyeon)さん(37)は、自分が地雷原や監視塔を避けながら非武装地帯(DMZ)を渡って韓国に亡命したときは、これから希望に満ちた新生活が始まるのだと信じて疑わなかった。だが現実は、予想以上に複雑なものだった。
 チュさんはこれまで、単純労働の仕事を得るため数え切れないほどの面接に臨んだが、強いなまりが出た途端に断られてきた。ようやく仕事に就いたレストランでは、給与を韓国人の半分しかもらえなかったこともある。韓国人は「北の同胞」を「貧しく、文明を知らない野蛮人」と見なし、社会から排斥しているとチュさんは話す。
 だがチュさんは、ラジオ放送を繰り返し聞いてなまりを直し、空き時間を利用して学位を取得。さらに、南北統一をテーマにした研究で博士号まで取った。脱北者が博士号を取得したケースは初めてだという。

チュさんは、根本的に異なる社会に住む脱北者が直面するさまざまな課題について詳述した本を書き上げたばかりだ。
 朝鮮戦争Korean War)の休戦協定が結ばれてから、北朝鮮の貧困と抑圧から逃れるために危険を冒して韓国に亡命した人々は3万人を超える。そんな彼らを、自由を切望する人間の象徴とする見方も多い。
 統一という目標は、大韓民国憲法に明文化されており、韓国は大々的な宣伝活動を展開して脱北者を歓迎した。1970年代や1980年代には、「英雄」として全国的に有名になった脱北者もいる。
 しかし1990年代に北朝鮮で数十万人が死亡する飢饉(ききん)が発生すると、韓国にはそれまで数える程度だった脱北者が雪崩を打って押し寄せるようになり、歓迎ムードはぷつりとやんだ。
 国民感情は悪化し、今では多くの脱北者がまともな仕事を見つけることや友達をつくることの難しさを嘆く。彼らの知識や技能の大半は韓国では時代遅れか不適切と見なされ、白い目で見られたり、うさんくさく思われたりすることもしょっちゅうだ。

■「脱北者の『汚名』をすすぐことはできないのかもしれない」
 脱北者の失業率は韓国全体の割合の2倍近い7%に上り、その一方で、月収は全国平均の約半分程度。ある研究では、脱北者の約20%が詐欺や窃盗、その他の犯罪の餌食になっていることが明らかにされ、定着を支援する目的で国から支給された約1万9000ドル(約200万円)の助成金を失う人も多いことが指摘されている。
 チュさんが2002年に韓国に亡命した理由の一つには、南北軍事境界線に沿って韓国軍が設置していた巨大なスピーカーから大音量で聞こえてきた「自由で豊かな暮らし」を約束する放送に引かれたこともあった。当時チュさんは、その境界線の北朝鮮側で自国のプロパガンダを流していた。
 警備の職務を放棄したチュさんは、電流有刺鉄線の柵の下をはって地雷原を歩き、わずか30分でDMZを渡り切った。
 だが韓国社会が強いる抑圧は、チュさんにとっては衝撃的だった。
「私が突然、身を置かれたのは、適者生存のルールに支配された超競争社会だった」とチュさんは書きつづっている。「この現実は、私が一人で軍事境界線を越えたあの凍える夜よりも冷たかった」「私は、脱北者という『汚名』をすすぐことは決してできないのかもしれないと悟った」
 学位を取得した後でさえも、自分が脱北者であることを明記した100通以上の求人応募書類はことごとくはねつけられた。だが脱北者であることを隠した途端、面接までこぎ着けられるようになり、仕事のオファーさえいくつかもらえるようになった。
 チュさんは現在、いくつかの大学で教えている。そんな自らの立場は「ラッキーで珍しいケース」だと語った。
 チュさんの本には、痛ましい話がいくつも書かれている。ある脱北者は、苦労して大学の卒業証書を得たにもかかわらず、就職先が見つからずに自殺した。
 脱北者を「関わりを持ちたくない相手」と見なす人々もおり、ある男性は、子どもを通わせていた学校で韓国人の保護者たちから、うちの子と付き合わせるなと公然と抗議する声が上がったことから、他国への移住を余儀なくされた。
 2000年以降、軍事境界線を越えて韓国に渡った北朝鮮兵士はわずか9人で、チュさんはその一人だ。昨年11月には、1人の北朝鮮兵士が同僚たちから銃撃されながらも韓国に亡命した一件が世界中で大きく報じられた。
 しかし、残る脱北兵のうち2人は薬物乱用や殺人未遂で服役しており、別の1人はアルコール依存症になり肝臓がんで死亡した。この他、ナイトクラブのチラシ配りをしていたときに自動車にはねられ障害を負った者や、別の国に移住した者もいる。
「(亡命した)兵士の多くは、韓国に来たことを後悔していると話す」とチュさんはAFPに明かした。

北朝鮮に戻った脱北者のその後は分からない
 しかしチュさん自身は、そうは思っていない。10代や20代の若い脱北者は「とてつもなく大きな希望」を抱き、年長の脱北者たちよりもはるかに早く韓国社会に溶け込むことに成功しているようだとチュさんは言い添えた。
 韓国政府のアンケート調査では、同国在住の脱北者の約4分の1がホームシックにかかり、少なくとも一度は北に戻ることを考えたことが明らかになっている。
 実際に帰国した人々もいる。ここ数年、北朝鮮の国営メディアには、そのうちの少なくとも20人が登場し、南にいた頃の「地獄のような」日々を涙ながらに語ったり、「二級市民」として格下扱いされたと告白したりしている。
 しかし韓国政府は、このうちの数人は北朝鮮に拉致されたと主張。彼らのメディア出演は台本に則したものと考えられ、その後、どんな運命をたどったかは知る由もないと非難している。人権団体の説明によれば、北朝鮮では脱北者に対し厳罰が与えられる。
「私は、韓国社会を地獄だと思ったことは一度もありません」とチュさん。「でも命の危険を冒して韓国にやって来たのに、社会的な差別や偏見のせいで自殺したり外国に移住したりする人たちを見ると、胸が痛みます」と続けた。(c)AFP/Jung Hawon